「もしゃもしゃ」

羊が言った。
「最近の紙は漂白しているから、あまり食べすぎると死ぬよ。気を付けな」
全くその通りだと思う。有害な何が入っているかなんてぼくらには分からないものだ。


少し違う話になるが、イギリスの有名な元ロックグループに属していた人物は“ジェット機を飛ばし雨雲にドライアイスを噴射した”ことにより雨を晴れに変えた。


ちょっとおかしな話である。
ぼくはそんなことをしたいとは思わないが、中にはどうしても天気を変えてしまいたい人もいるだろう。
でも誰もやらない。やっているのかもしれないが、聞いたことが無い。
それはやはり自然への敬意なのだろうか?
しかし、このような方法で天気をある程度自由に変えられるのであれば、日照りの続く地域に雨をもっと降らせたら良いし、
雨ばかりで日差しを得られない地域に太陽を与えたら良いとも思う。


羊が言った。
「しかし、漂白した紙ってのは、うまいからいくらでも食えるよ」
羊に友達として忠告した。
漂白した紙はなるべく食べないで欲しい。
ほらっ。と新しい紙を渡す。
羊は嫌そうな顔をして言った。
「うぇっ、わら半紙はまずいんだよ。悪いけど君が食べたらいい」
ぼくが?
紙を食べるだって?
冗談じゃない!羊じゃあるまいし…


またもや羊は言った。
「君はやっても見ないうちから、諦めすぎなんじゃないのか?ぼくは少なくとも一度食べた経験から物事を話しているけどね」
それも全く羊の言うとおりだった。
ぼくは悔しい気持ちで再生紙を食べてみた。
うん。案外いけるな。
少しびっくりである。ぼくはたまらず漂白した紙に手を出した。


…舌がとろけるようだ。
これを知らないで一生を過ごしていたかもしれないとは。
羊に感謝したい。確かにそれと比べるとわら半紙は食えたものじゃなかった。


そこでぼくははっとした。
自由に雨を降らせたり止ませたり、それはぼくらにはあまりにも快適な未来のような気がしたのだ。
しかし、それも漂白した紙を知ってしまった羊のように死が待ち受けているだけなのだろうか?